令和7年度 入学式 式辞

     式  辞

 本日ここに、令和7年度 北海道利尻高等学校入学式を挙行するにあたり、
 利尻町長   上遠野 浩志 様
 利尻富士町長  田村 祥三 様
 保護者と先生の会会長 吉田 浩二 様
をはじめ、多くの御来賓、並びに保護者の皆様の御臨席をいただき、厚く御礼申し上げます。
 また、保護者の皆様には、お子様が本日晴れて高校生として新たなスタートを切られましたことに、心からお祝いを申し上げます。
 さて、ただいま入学を許可しました16名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。教職員、在校生とともに、皆さんを心から歓迎いたします。
 これから始まる高校生活の大切な目標は、予測困難で急激に変化する時代の中で、一人一人が自分の良さや可能性を認識し、様々な社会の変化を乗り越えることができる資質や能力を身につけることにあります。
 高校生活の第一歩を踏み出すに当たり、皆さんに意識して大切にしてほしい、本校が行動指針として定めている、2つのことをお伝えします。
1つ目は、「自律」です。「自律」とは、自分の自に、法律の律と書きます。自分の価値観や信条、理念に基づいて判断・行動することを意味します。皆さんには、高校生活1日1日を大切にし、自分自身を成長させることをしっかり考えながら、学校生活を送ってほしいと考えています。
 高校生活の3年間で、必要な資質・能力を身に付けるためには、何事も自分の意志で取り組もうとする姿勢が重要です。自らの学びに目標を設定し、身に付けた知識を使って深く考え、新しいものを生み出したり、様々な課題を解決する力を、授業や学校行事、部活動など学校生活全般をとおして、自ら積極的に身につけていくことを心がけてください。
 2つ目は、「協働」です。「協働」とは、協力の協に働くと書きます。立場の異なる者同士が共通の目的や目標に向かって協力し合うことを意味します。これから3年間の高校生活の中で、自分とは異なる考え方にも触れながら、同じ目標のもと、同級生や先輩、地域の方々や専門家など、幅広い世代の人々と対話を重ねながら、1つのことを成し遂げる経験を重ねてください。
そのためにまず大切なことは、今ここにいる仲間と良好な人間関係を築き、学校生活の基盤となる皆さんのクラスを、1人ひとりにとって安心で居心地のいい場所になるよう、全員で協力して作り上げることです。相手を尊重し思いやる心や一人ひとり異なる個性をお互いに受け止め、認め合う豊かな心を大切にしてください。
 3年後、この16名で、笑顔と感動に満ちた卒業式を迎えられるよう、高校生活の中で起こる様々な出来事を、皆で励まし合い、支え合って乗り越えて行って欲しいと思います。
 本校の教職員も、これからの3年間、皆さんが夢や目標に向かってしっかりと歩むことができるよう、心から願い、皆さんを全力で支援していきます。
 結びになりますが、保護者の皆様、大切なお子様を、今日からお預かりいたします。皆様と十分に連携を図りながら、一層信頼される学校を目指して、教職員一同、一丸となって、教育活動に努めて参る所存であります。御来賓、保護者の皆様に、本校への変わらぬ御理解と御支援をお願い申し上げ、新入生の皆さんの大いなる健闘と飛躍を心から期待し、式辞といたします。

                 令和7年4月8日  北海道利尻高等学校長 鳥 毛 浩 二

校長から

     ご 挨 拶

 

 北海道利尻高等学校のホームページにアクセスしていただきありがとうございます。
 本校は、昭和32年に定時制課程水産科の学校として設置され、69年目を迎える歴史と伝統のある学校です。生徒は主に利尻町、利尻富士町の2つの町から入学してきており、卒業生は4,600名を超え、様々な場所で活躍しています。

 

 自然豊かな利尻島の特徴を活かし、利尻山登山や悠(ユウ)遊覧人(ユウランニン)G(グ)(全島一周ランニング)をはじめとする「ふるさと教育」は、本校の特色ある教育のひとつです。取組状況により、「利高スーパーアルピニスト」「利高ウルトラランナー」「利高スターボランティア」「利高エクセレントスカラー」などの表彰基準を設けており、生徒たちは基準クリアを目指して取り組んでいます。

 

 今年度より学校教育目標(目指す生徒像)を「未来を探究 社会を共創 自分に挑戦」と設定し、校訓「醇風剛健」のもと、「ふるさと教育」と「キャリア教育」を柱に、地域と連携した教育活動を進めて参ります。

 

 今春の卒業生は、道内外の国公立大学、私立大学、専門学校、民間就職と進路希望を実現しました。高校3年間とその後の生き方を見据えたキャリア教育のもと、各種講演会や大学、専門学校のご協力をいただきながら、模擬授業や学校説明会を年間複数回実施し、生徒一人ひとりの個性を尊重し、将来の自分を考え、その実現に向けて取組を主体的に進められるよう、教職員が一丸となって生徒をサポートしています。また、令和3年度より北海道高等学校遠隔授業配信センター(T-base)から「音楽」の遠隔配信授業を受信し、芸術科目で「音楽」と「書道」の選択が可能となり、令和7年度はさらに「現代の国語」「数学B」「情報Ⅰ」の配信授業を受信することになっています。

 

 今年度も引き続き、生徒の多様な進路希望の実現やふるさと利尻島の魅力の再発見、そして本校での学びをとおして自己の可能性を広げることができる環境があることを、多くの方々に知っていただけるよう、このHPやインスタグラム等で「利高の今」を発信させていただきます。引き続き保護者、地域の皆様のご理解とご協力をいただきますようお願い申し上げます。

 

                   令和7年4月 北海道利尻高等学校長 鳥毛 浩二

令和6年度 卒業式 式辞

  式 辞


 冬という季節に生きる、人とその自然風景を切り取り、カメラマンであり映画監督の木村大作氏は、「厳しさの中に美しさがある」と表しました。そして、ここから仰ぐ利尻富士は、その言葉に違わず、厳しさを携えた美しさを感じる一方で、頂上を望む空の青さに、巡る季節を思い、利尻島に来るべき春を感じる本日、
 利尻富士町長 田村祥三 様
 利尻町長 上遠野浩志 様
 保護者と先生の会副会長 長谷川真也 様
をはじめ、ご来賓並びに保護者の皆様のご臨席を賜り、令和6年度北海道利尻高等学校卒業式を挙行できますことに、厚くお礼申し上げます。
 ただいま、卒業証書を授与しました普通科19名、商業科6名の卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。気丈かつ堂々と呼名に応えるその姿、とても素敵でした。新たなステージへ巣立っていく決意が伝わってきます。私た  ち教職員一同、みなさんを心からお祝いいたします。また、保護者の皆様には、お子様の晴れ姿に喜びもひとしおと、拝察いたします。
 さて、卒業生のみなさん、今年度、私が集会等の挨拶で「自律」と「協働」について、努めてふれてきました。生徒、教職員共通の行動規範として大切にしてきた価値観です。今、自分自身を見つめ直したとき、この価値観は目に映っていますでしょうか。おそらく、見えないと思います。でも確実にあります。間違いなく皆さんの中に根付いています。私から卒業生のみなさんへ、最後に「大切なものは、目には見えない」という言葉を贈ります。
 フランスの作家サン・テグジュペリの書いた児童文学「星の王子さま」に登場する言葉です。
 自分の星にあった一本のバラの花が、唯一無二だと思っていた王子様が、地球にやって来ます。何千本とバラの花が咲いているのを見て、悲しくなりショックを受けます。そこに友人になったキツネが来て言いました。「心で見ないとよく見えない。肝心なことは、目には見えないんだよ。」と。王子様は、自分の星で世話をしてきたバラのことを、愛おしく思い出します。他のたくさんのバラと、外面的には変わりませんが、大切に時間を費やしてきた「つながり」の中で、ひときわ美しく思い出させます。「つながり」は「絆」、と表現できるかも知れません。また「信頼」と言い換えることもできるでしょうか。ここ利尻高校で過ごした3年、島で過ごした十数年の時間が、皆さんと皆さんを囲む全てのヒト・モノ・コトを、かけがえのないものにしているはずです。これから、家族と、友人たちと離れて暮らし、大人として、それぞれの人生を歩むことになっても、ここでの時間が大切に育ててきた自分の価値観は、自分軸としてしっかりと、自身を支え続けていきます。この先様々に出会うヒト・モノ・コト、星の王子様の気付きと同じく、数ではなく、どれだけ心を込められたかが、あなたにとっての、目には見えませんが、確かにある「大切な何か」、という実感で、確認できると信じています。
 結びになります。
 保護者及びご家族の皆様、本日はお子様のご卒業、誠におめでとうございます。高校の卒業は、お子様の成長を見守る者たちにとっても、大きな節目だと思います。本校を信じ、3年間お子様をお預けいただきましたことに、心より感謝申し上げます。おそらく、本日ご帰宅された後、改めて、お子様方から、感謝の言葉が送られるかと思います。感謝の言葉は、様々な人とのつながり、絆をより深く、より強く、より太くする幸福を運ぶ言葉です。利高生はそういう大切な言葉を、躊躇せず言える生徒です。ぜひ正面から受け止めてあげてください。普段目に見えにくいモノが、やがて実感として得られる、行動として表れです。
お別れの時間が迫っています。時間は目には見えませんが、ちゃんと存在しています。今この瞬間も、みなさんそれぞれが、意味付けし、色付けし、一瞬たりとも、とどまることのない感情と紐付けされ、かけがえのないものとして胸に刻まれていることと思います。
卒業生のみなさんが、ここ利尻高校での学びと、自分自身の成長・成熟を感じることができた今日を喜び、希望にあふれる未来となることを祈念し、式辞といたします。

 令和7年3月1日


北海道利尻高等学校長 小 林 洋 介 

「ささやかだけど、役に立つこと(A Small , Good Thing)」

 「今日で最後だから、コレ持ってきました。」

と、令和7年1月31日(金)3年生の女子生徒2名が折り紙(手裏剣とお花)を持って校長室を訪れました。彼女たちはこれまでも、何度か昼休みに校長室へ遊びに来てくれた生徒です。私は「ありがとう!家庭学習期間に入るもんね、じゃあ、今度会うのは、卒業式だね。いや、前日の予行練習か、最後じゃないね(笑)」と取り留めもない会話をし、間もなく、彼女たちは次の授業へ向かって行きました。

 その折り紙は今、机の上にあります。ふとした時に目に入ると、ぼんやりしそうな私に、「私たち見てるよ!」と戒めをあたえてくれるように感じています。もちろん、彼女たちは、そんなメッセージ性の高い限定的な用法を言ってきたわけではないです。そんな重いものを渡した訳ではない、と思っているのは十分理解しています。ただ、私が勝手に意味付けしているだけです。でもこれによって、「よし、頑張ろうかな」と、私の気持ちをリブート(再起動)する役割を果たしてくれているのは確かです。ささやかではありますが、とても役に立っており、感謝しています。

 

 日常を顧みたとき、モノに限らず、ささやかな行為においても役に立つこと、大切なことって、けっこうあるなと思います。例えば「あいさつ」なんてどうでしょうか。「おはようございます」「こんにちは」「お疲れ様です」など、日常的に行っている行為ですが、単なる言葉のやりとりと言うより、コミュニケーションや良好な関係性を構築・保持する基本的な所作だと思えます。初対面の方に対しても、挨拶を交わすことで、好印象を与え、人間関係の入口としての入りやすさを、より円滑にさせていると感じ取れます。

 20歳~69歳の男女1100人を対象とした、「挨拶」に関する調査結果(株式会社クロスマーケティング2024年3月より)では、「挨拶することの影響」について、「人間関係」「自分の気持ち」いずれも、全体で70%以上が「良い影響がある」と回答しております。また、挨拶を交わすことで満足した・嬉しかったことは、「交友関係を深められた」「雑談から会話につながり充実感を得られた」「見た目の印象と違い、優しい人に見えた」などが挙げられてました。一方で、残念だったことは、「挨拶をしても無反応だった」という意見が大多数でした。(自由回答抜粋)

満足・嬉しかったこと
・挨拶することで人とのふれあいができ、心が豊かになれる(女性50代)

・会話のきっかけとなり、交友関係を深められた(女性40代)

・子どもが来たのでお店のドアを開けて待ったとき、保護者から礼された(男性60代)

・取っ付きにくそうな人に声を掛けたら、案外優しい人だった(女性60代)

・挨拶することで、ちょっとした雑談につながって楽しく会話でき、充実感を得られた(男性40代)


不満足・残念だったこと
・挨拶を無視されたように感じた。自分の声が通らないから聞こえていないのかも知れない(女性20代)

・こちらから挨拶しても無視されるとさみしい気持ちになる(女性60代)

・自分のことを気に入らない人からは挨拶されない(女性30代)

・小学生に先に挨拶されてバツが悪かった(男性50代)

・挨拶しても返されず、謎の舌打ちされた(男性20代)


 確かに、挨拶をスルーされたり、無作法に振る舞われると、なんだか悲しく、相手との距離を感じてしまいます。聞こえてなかったり、気付いていなかったりという場合もあるでしょうが、挨拶先手者としては「あれ、私なんか怒らせることした?!」とヒヤヒヤモヤモヤが残ります。理由は色々(挨拶返してもメリットないと思ってる、人とのコミュニケーションを極力避けたいとか)考えられるでしょうが、経験的に、渡る世間にはそういう方は多くはないと推察しています。先手挨拶にて、まずは自分自身を機嫌良く、前向きにさせてください。特にこれから3月~4月にかけては、出会いと別れのシーズンです。挨拶をする機会も、多くなることが予想されます。ささやかなことかも知れないですが、その積み重ねと連鎖が、自分も周囲も過ごしやすい環境を創り出すことに、大いに役に立っているはずです。

 

令和7年2月14日

北海道利尻高等学校長 小 林 洋 介

 

【2月の授業風景】

冬季休業明け集会にて(再構成)

  みなさん、おはようございます。

 冬季休業中、生徒及び職員のみなさんの、事故やケガ等の連絡もなく、安堵しています。どうでしょうか、充実した休業を過ごすことが出来たでしょうか。

  昨年末、テレビの音楽番組を見る機会が多くありました。その中で、2024年日本で「最も再生された曲ベスト3」何だかわかりますか。

 1位Creepy Nuts Bling-Bang-Bang-Born

 2位Mrs.GREEN APPLE ライラック

 3位Omoinotake 幾億光年

  その中でも私は、2位のMrs.GREEN APPLEが好きで、このライラックをよく聴いていました。知ってる方も多いと思いますが、ギターがリードする明るい曲調で、PVも学校を舞台としたキラキラした感じです。でも歌詞は決して「俺最高!」「俺イケてるー!」というものではありません。どちらかというと内省的で、ありのままの自分を受け入れる、「自己受容感」を大切にしている印象を受けます。

 最後の歌詞の部分も、

  割に合わない疵も

 認めてあげようぜ

 僕は僕自身を愛してる 愛せてる

 と結ばれ、ありのままを受け入れることの大切さを示しています。

  皆さんがよく聞く「自己肯定感」は、「私は価値がある」、「私はできる」、というポジティブな感情や評価を自分に持つことを目指しています。一方、自己受容感は、自分には良いところも悪いところもあるという、それをそのまま受け入れるという感情です。当然、それでいいんだとはなりません。良いところは伸ばそうと努力しますし、悪いところは改めようという意識になります。

 自己肯定感というのは、ややもすると、「出来た!」「成功した!」「褒められた!」という成果に左右されやすく、他者との比較に陥りやすい側面があります。

 この自己肯定感と自己受容感、大切なのはバランスだと思います。自己受容感を土台とした自己肯定感を高めること、これが重要なのかと思います。一時、何か失敗することがあって「もうダメだ」「私は最低」というような、自己の肯定が揺らぐ事象があったとしても、自分を見失うことなく、立ち上がることができるのが、自己受容の力じゃないかなと思います。

  自分の内面を見つめながら、他者ととも生きていくこと。今年度、私たち職員、生徒、全体での行動規範としている、【自律】と【協働】、とも親和性の高い価値感と捉えています。

 

 残り3ヶ月を切り、今年度のまとめの時期となりました。3年生は残り少ない高校生活となります。ちなみにこのライラックの花言葉は色によってまちまちですが「青春の喜び」「友情」「初恋」というのがあります。どうかみなさんの心のライラックを咲かせていってください・・・・(校長がキメ顔)

  今、「校長、なんかうまいこと言って、気持ちよくなってるわ」と思っている生徒さんがいたら、手を挙げてください・・・はい、今、手を挙げた人の顔、絶対忘れません、というのは冗談ですが、今私は、自分が「決まった!」、という自己肯定感を抱きました。手を挙げなかった人も含め、生徒のみなさんには、自分の言葉に酔ってるという印象で逆効果になる、という事実を目の前に、それを受け入れようという自己受容感も同時に抱いています。

 

 風邪や感染症も流行っています。どうぞ、健康管理を十分にし、後期の後半、勉強や学校活動に取り組んでください。

 

 【冬季休業明け初日のRising Sun Rishiri】

 
令和7年1月20日

北海道利尻高等学校長 小 林 洋 介

みみをすます。

 2024年を振り返りますと、1月1日の石川県能登半島を襲った震度7の地震に始まり、その次の日2日には羽田空港での日航機と海保機(新潟に地震の救援物資を運ぶ予定)の衝突事故。今年は早々にどうなってるの?!と行方を暗示してしまいそうな、不安の大きな年明けだったと記憶しています。更に海外に目をやればウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルの戦争は和平の糸口すら掴めず、地球規模の異常気象(もうそれが恒常?)など、気持ちを暗くする事象を探すのに苦労はしませんでした。でも一方で、パリオリンピックでの日本人の奮闘や、聞かない日のなかったメジャーリーグLAドジャース大谷翔平選手の活躍は、大きな励みとなり、年の瀬に向かう中の明るい事象を捉えて「今年も良かったのかなー」と、帳尻を合わせようとする自分をみることができます。 本校の教育活動に目を移しますと、3月に商業科普通科卒業生20名、全員進路を決定して巣立つことできました。そして4月、商業科募集停止となった最初の入学式で、普通科16名の新入生を迎え全校生徒60名でのスタート。「自律」と「協働」を生徒・教職員共通の行動規範として取り組んできました。夏季休業前までは、全島一周マラソン、全校登山、利高祭、更に高体連、高文連等での遠征に際しても、すべての教育活動を今のところ天災人災の影響もなく実施できており、教育効果が図られている状況です。また合わせまして、各々の場面、機会における保護者、地域の皆様のご理解ご協力を賜りますこと、あらためて感謝申し上げます。

 さて、先月お亡くなりになった詩人・谷川俊太郎氏の詩に「みみをすます(福音館書店1982年)」というのがあります。ひらがなとカタカナだけの少しながい作品です。「みみをすます きのうのあまだれに みみをすます」から始まり、動物の鳴き声や、人間から生じる音、世の中の変化から生まれる音、時代を遡った多くの象徴的な音など、様々に集中して注意深く探るように「みみをすます」を重ねていきます。とてもリズムが良いので、次々と読み進めてしまいます。ただ後半に( )書きで、次の一節が組み込まれています。

 (ひとつのおとに

ひとつのこえに

みみをすますことが

もうひとつのおとに

もうひとつのこえに

みみをふさぐことに

ならないように)

 この後もまた「みみをすます」が続くのですが、この一節の前まで私は、どんどん読み進めながら、次は何に「みみをすます」のかなと、今読み終えたばかりの一節にさほど心を残すことなく、視線を次に運んでいっていました。そして、私はこの一節にハッとし、少し考え込んでしまいました。「お前の、『みみをすます』ってそれで合ってる?」と見透かされた感じがして、目が止まってしまったのです。

 「みみをすます」とは、単純に「聞く(聴く、が近いか)」というのと、ちょっと違う深みを含んでいる気がします。「耳を澄ます」と書きますが、これは相手との関係をより深いものにするための情報を、すべて感じ取ろうとする意思を感じます。感覚の研ぎ澄まし具合が高い様子です。私はこれまで50年以上生きてきて、記憶の有無に関わらず、様々な年代、様々な立場、色々な事情のある方々と話してきました。これからも間違いなくそれは続くと思います。そして今、この一節を目にして、その時々の自分の姿勢を当てはめて思い返したとき、自分の共感する声に多くの耳を傾け、異なる声を無意識に排除してしまっていたのではないかと、不安になってしまいました。一方で、何かを選択したとき、何かに集中したときには、選択されなかった多くの希望、拾い切ることができなかったたくさんの願いがあったことを忘れないでね、しっかり心掛けていきなさいよ、とやさしく諭された気もしてきます(平仮名の効用でしょうか)。

 この詩は次の一節で結ばれています。

 みみをすます

きょうへとながれこむ

あしたの

まだきこえない

おがわのせせらぎに

みみをすます

 2024年末、今年あった出来事のこだまにみみをすましながら、来るべき2025年新春の足音にも、みみをすましてみようと思います。ひとつのおとに、ひとつのこえに、みみをすますことが、もうひとつのおとに、もうひとつのこえに、みみをふさぐことに、ならないように。

 【師走の授業風景】

令和6年12月24日 

 北海道利尻高等学校長 小 林 洋 介

「カッコいいヒト」は誰だったのか。

 後期がスタートして2ヶ月ほど経過しました。

 9月末、残暑厳しい関西関東での見学旅行から戻ったばかりの2年生が中心となり、10月は「利尻礼文サロベツ国立公園50周年記念イベント」への参加に始まり、2日間に渡るスポーツ大会(私は新型コロナ罹患、リレーの順番狂わせてごめんなさい)、外部講師による講演、商業科企画イベント、各種検定、各種模試、3年生は就職・進路学に係る試験と、毎日が目まぐるしく過ぎ去っていった心境ではないでしょうか。日没の早さと窓に見る冬枯れの島景色に、時の移ろいを感じます。

  さて、11月23日(土)に実施しました商業科イベントでは、50名以上の島内の小中学生に参加いただきました。校舎全部を使った「鬼ごっこ(一定時間毎に鬼が増える)」では高校生が鬼役となり、普段は「ローカは走らない!」と絶対言われているはずの児童生徒が、思いっきり走り逃げ、高校生活ではなかなか聞くことのない、周波数の高い歓声「キャーッ」「イェーイ」を校舎全体に響き渡らせていました。校長室も開放し、逃げ込み先としてソファやシュレッダーの陰を隠れ場所に利用し、「校長先生、絶対言わないでよ!」「はい、、、」と強く申しつけられたりもしました。

 プログラム中盤、校長室に逃げ込んできた小学校低学年くらいの男子児童Bくん、すでにソファ陰に隠れていたAくんの会話が耳に入りました。

A「鬼来てる?」

B「来てる!」

A「誰?」

B「わからない、カッコいいヒト、〇番の人」

A「えー誰だろう、△くんかなぁ」

 鬼役の高校生はゼッケンを付けています。そして高校生も含め、全員胸にネームシールを貼付しています。その会話後すぐに2人は、鬼の気配を気にしながら校長室を走って出て行きました。私がそこで「おっ」と思ったのが「カッコいい」のワードです。Bくんの言った「カッコいい」は、どこを感じ取って発せられたのでしょうか。またAくんも「△くんかなぁ」と連想したのは、「カッコいい」から想起したのか、「〇番」の記憶を辿ったのかはわかりませんが、「カッコいい」だとしたら、AくんBくんの「カッコいい」の共通項は一致しているのかどうか気になるところです。高校生に対する憧れか、立ち姿か、その所作か、好みのルックスか。そもそも「カッコいい」ってどういうことなんでしょうか。

 

 平野啓一郎著「『カッコいい』とは何か」(講談社現代新書)に、カッコいいの諸条件を整理した提示がありました。

①魅力的(自然と心惹かれる)

②生理的興奮(「しびれる」ような体感)

③多様性(一つの価値観に縛られない)

④他者性(自分にはない美点を持っている)

⑤非日常性(現実世界から解放してくれる)

⑥理想像(比類なく優れている)

⑦同化・模倣願望(自分もそうなりたいと自発的に感じさせる)

⑧再現可能性(実際に、憧れていた存在の「カッコよさ」を分有できる)

 私がBくんの「カッコいい」を聞いたとき、瞬時に思ったのが「⑧再現可能性」によるカッコよさです。小学生にとっての高校生は、直上の中学生を超えた存在です。体も大きく、脚も速い(笑)、自動販売機のある校舎で難しい勉強をしている。いつかボクも利尻高校行きたいなぁ、高校生って≒大人だなぁ、憧れるなぁと思っているはずなのです。

  でも、これを高校生の立場になった自分が聞いたとき、ただ高校生になっただけでカッコいいか?!と訝しく思うはずです。等身大の今の自分を認め「オレ、カッコいい・・・」と言い切れる人はどれくらいいるでしょう。恐らく皆無なのではないでしょうか。「カッコいい」は老いも若きも男も女も、更に国や地域、時代によってもそれぞれにその価値観を持ちあわせています。「あれカッコいいよねー!」「えっ、全然ダサいじゃん!」そんな会話が日常的にあるのが事実です。おそらく世界中でも。「カッコいい」の定義はとても難しいですし、一様にいかないのは明らかです。ただ共通するのは、私たちがいつでも、理想のカッコいい像を目指し、「カッコよくなりたい(ありたい)」「少なくとも、カッコ悪くはなりたくない」という願望があるということではないでしょうか。

  本書は著者が「小説以外では、この十年来、最も書きたかった本」と話しています。500ページに迫るボリュームで、抽象的な「カッコよさ」のみならず、音楽、趣味、ファッション、流行、美術、文学等様々な具体例を挙げながら、複眼的複層的に解読し、なかなか読み応えがあります。

  そしてその最後に、

 将来的に、いつまで人が「カッコよさ」を求め続けるのかはわからない。しかし、「カッコいい」には、人間にポジティブな活動を促す大きな力がある。人と人とを結びつけ、新しい価値を創造し、社会を更新する。

 私たちは、「カッコいい」の、時に暴力的なまでの力を抑制しつつ、まだ当面はこの価値観と共に生きてゆくこととなるのではあるまいか。

と結んでいます。

 Bくんは、利高生男子生徒を「カッコいい」と表現しました。言った方も、言われた方(もしそれを知ったら)も、活動と意識のポジティブさに、確かに拍車がかかるかなと思います。私なんて自分が言われてもいないのに、利高生が「カッコいい」と言われてて、嬉しく誇らしく思いましたし。誰もがそれぞれの「カッコ良さ」を求め、もしくは「カッコ悪くない」を用心深く感じ取って生きているようにみえます。年齢を重ねる毎に、生活する環境毎に、また経験と学びのその度に、「カッコいい」の価値観は変化していくとは思います。しかしその都度、利高生が自分なりの「カッコ良さ」を求め、憧れで終わらない努力をする自分であって欲しいなと、私は願っています。そうした一所に止まらない利高生の姿が、Bくん始め、下の世代がいつまでも憧れの「カッコいい高校生」として思ってもらえる要因になるのかなと、推し量っています。

 

 ちなみに、高校生800人を対象とした「カッコいい大人のイメージ」(ソニー生命調べ2019年8月)の順位は次のとおりです。ルックスやスタイルは、ランク外なのですね。

1位 好きなことに打ち込んでいる

2位 マナーがしっかりしている

3位 面白い・ユーモアがある

4位 身近な人々(家族や仲間)を大事にしている

5位 対等な目線で接する(上から目線ではない)

6位 知性的・クール

7位 おしゃべり・トーク上手

8位 仕事に打ち込んでいる

9位 聞き上手・質問上手

10位 自分に自信を持っている

  高校生からみた大人なので、我々教職員も当然あてはまりますね。「こんな外から当てられた価値規準なんて私は気にしない!」という価値も、またカッコ良さの一面であるであるのかも知れないでしょうが、私はそのイメージの一端でも自分自身が保っているのかどうか、とても気になります。「カッコつけてる」「~ぶっている」と評されるのは、どちらかというと「カッコ悪い」「ダサい」部類なのでしょうね。

 

【後期中間考査】打ち込んでいる姿は「カッコいい」です!応援してます!

 

令和6年11月28日 

 北海道利尻高等学校長 小 林 洋 介

校長室から

 今年の夏は全国的に、暑さ、台風、大雨、そして地震についての報道が多く、人のチカラでは抗うことのできない事象である自然を前に、謙虚にならざるを得ない感情を抱くことが少なくありませんでした。一方で、パリオリンピック・パラリンピックを通じて、限界に挑むアスリート達のパフォーマンスに、感情が動かされるのを禁じ得ない、人が為し得る業(わざ)への畏敬を、改めて感じる季節でもあったな、と思い返しています。

 利尻高校では、夏休み明けに全職員が担当を決め、1・2年生と面談を行っております。夏休みの過ごし方や学習、部活動、進路、最近の気がかり事などを対話する機会を設けています。生徒の「これまで」と「今」を理解し、「これから」を見通すことはとても大切な取組です。私も2人の生徒と話しをすることができました。

 先日、テレビにてジブリ映画「天空の城ラピュタ」が放映されていました。1986年(昭和61年)映画公開ですので、今から約40年前の作品です。昭和作品が、平成・令和と何度もテレビで再放送されていますので、時代を超え普遍的なメッセージに対する共感性が高いのかなと推察されます。私は最低でも10回以上は観ています。

 「40秒で支度しなっ!」

 空賊の首領ドーラが、主人公のひとりパズーに向かって言うセリフです。

 詳細は省きますが、ナンヤカンヤ危機的状況があって、ドーラがパズーに、2度と家には帰って来られないことなど、その覚悟を確認し、一緒に連れて行くこと決め、拘束していた縄を解く際に指示したのです。解放されてから、支度に何をするかを考えたでは遅すぎます。パズーのやったことは躊躇なく、①ゴーグルを装着すること、②屋根裏のハトを逃がすことの2つのみです。もうひとりの主人公シータを助けるため、家族の命(ハト)を救うためという、利他的行動だったと理解できます。

 このシーンを観るたびに思いますし、今回は台風10号による被害が報道される中で、特に意識させられたのが、自分が危機迫るタイミング(もう家には戻らない、家を捨てる覚悟)で「40秒」与えられたら何をするか、についてです。ジブリの世界ですから、現実と対比させるのは、とてもバカげているとも考えられますが、非日常を想像するのは、日常でしかできないことだなとも感じます。

 面談した2人に共通する、現在チカラを注いでいる事柄が、前期期末考査に向けた学習でした。部活動等も考査1週間前から活動停止でした。(「1週間で支度しなっ!」いいえ、普段から十分支度できる取組でもあります。)前期のまとめとなる期間ですので、生徒たちが望む結果に結びつくよう、その持てる力を、答案用紙に注いでほしいところです。そして、目標達成に向けた旅の支度(努力)を、今後も継続し(もしくは新たに始めて)、周囲から応援され、自分の成長・成熟を実感できる取組となっていけるよう、我々職員も、引き続きサポートしていきます。

※ちなみに、私が40秒で支度しようと思ったのが、スマホとバッテリー、財布、あとガス・電気・水道を止めること、、、でした。ドラマチックさはありませんね。

 

【前期期末考査】

 生徒の皆さん、制限時間いっぱい、頑張ってください。

 もう少しだけ、と言っても「3分間待ってやる。」とはなりませんので。

 

「運も実力のうち」の真相解釈

 

 4月の始業式・入学式から夏休み前までの登校日76日、全校生徒59名は、日々の授業は素より、毎週のように計画されている行事や部活動、課外活動に自律と協働で取り組んできました。特に本校が昭和63年より推進しています「ふるさと教育」では、5月「礼文島宿泊研修(1年生)」、6月「全島一周マラソン」、「全校利尻山登山」をコロナ禍以前のように、無事実施することができました。保護者並びに関係する地域の皆様のご協力もあって大きな学習成果を得ることができたと感じております。

 

 さて、今年の夏を賑わしたパリオリンピックですが、メダリストへのインタービューで「運が良かった」「運が味方してくれた」と回答される場面がありました。

 「運」というは巡り合わせという意味です。そして今回のような良い巡り合わせを「コウウン」というのだと思います。生成AI“Gemini”によりますと、 

○幸運/偶然に起こる良い出来事、外的要因による予想外の幸福感

○好運/努力や準備の結果として得られる良い出来事、自分の行動の結果として引き寄せた幸運、内的要因が大きく関わる

と意味分けがありました。

 「運も実力のうち」という言葉があります。

 人によっては、運は運だから、自分にはどうすることもできない確率的事象で、実力ということにはならない、と思う方もいるでしょう。これはどちらかというと偶然性の高い「幸運」に偏った理解なのかなと感じます。我々が日常生活を送る中で、気付く気付かないに関係なく、大小様々たくさんの出会い・出来事、あらゆる機会に遭遇しています。その際に「あっ、今のこれ幸運ですよ」「この人がラッキーマンです」というタグは付いてませんし、逆に「これは不吉です」とも示されていません。4年に1度、世界中から選ばれしアスリートが、この上ないプレッシャーと張り詰めた緊張の真っ只中、命を削るような正に一瞬の機会に遭遇し、それを「今だっ!!」と見極める眼力とそれを引き寄せる腕力を目の当たりにした時、帰する所私は、日頃からの準備を重ねているからこそできたパフォーマンスだった、と言わずにはいられません。メダリストの方々は「好運」「幸運」の両方の意味合いでお話しされていたのかな、と理解しています。ですからもう少し正確にいうと、「運(幸運)を掴むことができるのは実力(好運)のうち」となるのではないでしょうか。

 

  夏季休業明けからは、前期のまとめの時期となります。特に3年生にとっては9月中旬に就職試験が解禁され、進学希望者も推薦試験等が活発になってくる時期です。「運」を引き寄せる準備を仕上げる時期ともなってきます。「自分を信じ」というより「信じられる自分」に成長・成熟できるよう、全職員が使命感を持って生徒をサポートしていきます。

 保護者並びに地域の皆様におかれましては、本校教育活動への変わらぬご支援ご協力を、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

「遠くに霞む礼文島」と「8月の利尻山」(屋上より)

夏季休業中、暑い体育館で熱い練習「バドミントン部」「卓球部」

 

令和6年8月21日 

 北海道利尻高等学校長 小 林 洋 介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

早く行きたければ1人で進め、遠くまで行きたければみんなで進め

 

 6月2日「利尻島一周悠遊覧人G」、心地よい好天のもとスタートすることができ、そしてドクターを要請するような大きな事故やケガもなく無事終了できたことを嬉しく思います。

 スタートからおよそ14キロ地点の高校前で声をかけた生徒達は、幾分余裕で表情も明るく、「頑張りまーす!」「まだ大丈夫です!」と手を振りながら、力強く足を前に運んでいく姿を多数見ることができました。また、校内コンペを経て提供されたエイドドリンク「昆ポタージュ」も、「今年も楽しみにしてきたよ!」「頑張ってください!」等、一般ランナーの言葉掛けに、ボランティア生徒達が笑顔でもてなし交流する姿勢に、総探学習の取組基本方針のひとつである「~体験的で探究的な取組の中で、地域の人々との関わりを重視し~」の文言に足る態度だったと感心しました。

 改めまして、本校の本教育活動に際し、今年度も多くのご支援賜りました実行委員会始め保護者・地域の皆様にこの場を借りて厚くお礼申し上げます。

 

 さて、標記の言葉、先日校内で実施された閉会式にてお話しさせてもらいました。出典はアフリカの諺らしいですが諸説あるようです。ノーベル平和賞授賞式でのアル・ゴア元米副大統領の演説や、岸田首相の所信表明演説等様々な場面で引用され、その意味するところの共感性は、洋の東西を問わず高いことが確認できます。直接的に今回のランニングにもあてはめることもできそうですが、この諺の解釈は様々な角度から可能なフレーズだなと思っています。

 

 「ひとりで進んで早くいく」ことも、「みんなで進んで遠くまでいく」ことも、どちらにも意義があり、どちらが上とか下とかはないと思います。人生におけるあらゆる物事を推し進めていく上で、その求める成果の段階を表現しているのだと考えられます。例えば小さい単位で見ていくと、個人からスタートして友人グループや家庭、学校や会社組織、そして地方自治体から国家に至るまで、このフレーズにあてはめて鳥瞰することができそうです。では、それぞれの場合において「ひとりで進む」「みんなで進む」とは一体どういうことなのでしょうか。「早く行く」「遠くへ行く」とは何を指し示しているのでしょうか。そして、そもそもその目指す「行く先」はどこなの(何なの)でしょうか。

 

 ひとつの視点として、「行く先」が進む努力の成果として「幸せ(豊かさ)」と捉えることができないでしょうか。短期的成果を求めるときは、自分(単数)が幸せになることをゴールとした働きかけとなりますし、長期的成果を求めるときは、自己のみならずみんな(複数)も幸せに(豊かに)なることがゴールになると考えられます。しかしその「みんな」がすべて、同じ価値観、同じ意見とは限りませんから、対話を重ねながら少しずつ擦り合わせていかなければならないことは想像に難くありません。さらに「遠く」というのはみんなが到達したい純度を高めた成果ということのみならず、今すぐには達成されない、時世的に現在から離れた未来のことだともイメージできます。

 

 今年度、利尻高校の生徒・教職員の共通した行動規範を「自律」と「協働」としています。「自律」は自ら目標や課題を設定し、その言動の結果に価値や意義を見出すことです。「協働」は個々の意見を尊重しながら共通の目標・目的に向かう力動であることを意味します。この諺との互換性、親和性、符合性がとても高いと思っています。

 

 今年の悠遊覧人Gで、生徒個々が得た経験、たくさんの方々と共有した学び、それらが新しい価値となって積み上がり、また「自律と協働」の意識向上につながっていくと信じています。

 

【6月の授業風景】

if you want to go fast, go alone, if you want to go far, go together.

 

 

「自律」と「協働」

 「自律」と「協働」

 

 どうして「自律」と「協働」

 昨年度末、本校の先生方全員と、少し根本的なテーマに沿った面談をしました。

 「あなたの理想の教師像、こういう教員でありたいという姿は何ですか?」、「生徒に身に付けたいチカラってんなチカラですか?」、「あなたにとって、理想の学校ってどんな学校ですか?」の大きく3つです。今年度新採用の 20 代の先生から、教員歴 10 年以上の中堅・ベテランの先生方まで全員同じ質問です。「なんだか教員採用試験の面接みたいですね(笑)」と、少し照れながらお話しされる方もいました。

  ただ、どの先生方も理想を語るときには目を輝かせ、一言一言を選び、噛みしめながらお話しされていたのがとても印象的です。先生方のお話は、誰もが良識を疑うような考えなどは全くなく、どの思いにも「私もそう思います。」と、同意し頷くものばかりでした。具体的なキーワードとして「自ら考える」「価値観を押しつけない」「社会に貢献」「生徒の可能性」「生徒主体」等々、似たような考え方でも、その先生らしい表現で選ばれた個性的な言葉を聞くことができ、とても有意義な面談となりました。

  そうした先生方の「思い」と私の「思い」、学校を取り巻く社会の現状把握及び将来像、教育基本法に示された理念の実現に向け策定された教育振興基本計画、北海道が目指す教育の基本理念、宗谷管内教育推進の重点、島内3中学校の学校教育目標、本校の校訓、学校教育目標、スクールミッション、スクールポリシー、生徒育成ビジョン等との系統性、親和性、方向性、符合性、互換性を、複数のテキストマイニング、複数の生成 AI を活用して、日常的に生徒も先生も共通の行動指針として意識することができる言葉を紡ぎ出していきました。

  数理的データの平均値として示されるような単純なモノではなく、また私個人の独断でも決してなく、新たなオリジナルワードやキャッチフレーズになるようなこだわりに左右されることなく、聞いたことのある言い尽くされた言葉であったとしても、またすでにどこかの組織が掲げていたとしても、それは我々が求める言葉として自信を持って示すこと、としました。利尻高校に関わる誰もが「やっぱり大事だよね」「そうだよね」と、その本質を理解し大切にしたい意識の共有ができる言葉、ここ一番の余所行き用のドレスではなく、普段着のように、ガシガシ手垢がつくほどに使い倒してほしいものとして吟味した言葉、それが「自律」「協働」でした。

 

 だから「自律」と「協働」

 令和6年4月8日午前の始業式の講話にて、2、3 年生の生徒に「個としての自律」と「集団としての協働」についてお話しさせてもらいました。そして午後からの入学式式辞では、新入生にはもちろんですが、保護者や地域の皆様にもお示しさせていただきました。

                                                                                            「自律」
 「自律」とは、これまで学び得てきた知識や経験に基づく価値や信条に則り、他者から支配を受けず、自分自身で打ち立てた規範にて言動がとれることを言います。つまり自らの学びに目標を設定し、その学びへの価値や意義を見いだせること、またそういう人を指します。

                                                                                            「協働」
 「協働」とは、同じ目的・目標のために協力して働くことを言います。つまり自分とは異なる他者の考え方にも触れながら、同じ目標のもと、クラスの生徒だけでなく、先輩や地域の方々、専門家など幅広い世代の人々と対話を重ね、学びつながるひとつのものをつくりあげる、またひとつのこと成し遂げる経験そのものを言います。

  それでは、この「個としての自律」と「集団としての協働」が積み重なっていくことで行き着く先はなんなのでしょうか。

  「自律」は自ら目標や課題を設定し、その言動の結果に価値や意義を見出すことです。とすれば、多様な文化を認めながら自身で考え導く過程において、自分さえ良ければ良い、という価値観には至ることはありえません。また、「協働」は個々の意見を尊重しながら共通の目標・目的に向かう力動であることを意味します。そうなれば「自律」と「協働」によってもたらされる影響・効果というのは、各個人が自己の利益だけでなく他者の利益も考慮し、相互に支え合いながら共通の目標(利益)を目指すことができること、すなわち【 利他的・向社会的共存 】と言えるのではないでしょうか。そしてそれは、互いの幸福を思いやりながら持続可能な関係を築くことが可能となり、最終的には Well-being (ウェルビーイング = 身体的・精神的・社会的によい状態)つながっていくと展望しています。

  改めて「自律」と「協働」、これを我々利尻高校における日常的な意識付けと行動規範としていきます。

 ・・・「 自律 × 協働 」です。

 令和6年4月25日 

 北海道利尻高等学校長 小 林 洋 介